2014年08月18日
父のはがき

ご無沙汰して居ります。
昨夕、午后〇時△△分、女児が生まれました。
破水が意外に早く病院へ行く暇なく家で出産しました。
逆子のため、後五分で死亡するところまで行きましたが、その後息を吹き返し無事に居ります。
今のところ心配ありません。
今度は丈夫に育てたいと思います。右取り急ぎお知らせまで。
***************
(2週間後)
其の後母子とも健在で母乳も順調に出始め、へその緒も九日目に取れました。
御七夜には、祝杯を挙げ、のりえと命名いたしました。
陽気が好いので生活し易くお湯をつかわせるにも楽です。
梅雨に向かいますがご自愛ください。
**********
実家の祖父にあてた父手書きの「はがき」2枚。
祖父のふみ箱に残っていた。
電話もほとんどない時代、多くの書簡のやりとりもあったろうが、記念にとこのはがきを残してくれたのだろうか。
切手は「5円」の時代。郵便番号という世界がなかったようで記入マスさえ、ない。
次兄が1歳にならぬ前に亡くなり、喪失鬱を乗り越え、数年後、私を生んだ母。
逆子のうえにいきなりの破水で腹の子は窒息寸前、いそぎ産婆さんを呼びに行き自転車の後ろに乗せて駆け付けた父。
拉致するように連れてこられた産婆さんは「下駄さえはかせてもらえらなかった」と述懐したという。
あと5分遅ければ、この世に産声を上げなかったかもしれないわたし。
顔に残った太田母斑と、死なせるよりはなんぼかましと力任せに出かかった片足首をもち、産道を引きずりだした故の股関節脱臼が
九死に一生を得たおつりながら、
無事に育ったことは、親孝行になったろうか。
いただいた命は、次につなげました。ありがとうございます。
2014年08月11日
女系ご先祖さま
お盆にはいる。入りに先駆けて本日お寺様の供養経もあげていただき、
さあ、ひとり盆の始まりだ。
と思った、そのせいか。
唐突に、納戸の柳行李が私を呼んだ気がして、
どれどれ、なんぞご用でしょうかと、ひっぱりだして開いてみる。
雑多にはがきや書類や写真が詰まっている行李。
実家が売却される折、なんぞ思い出にと
開かずの間となっていた仏間の棚からいただいてきたもの。
ざっと中を見て、いくつか祖父母の写真をとりだし、
整理したもののあとはそのままお蔵入りしていた。
あらためて、見分。
ふとt枚の写真に手が止まる。
初めまして、のお顔が。

裏書を見ると。
まぁ。抱かれた赤子は、私の祖母。
ということは、横に立つご婦人は、わたしのひいおばあちゃん。
で、赤子を抱く老婦人は、ひいひいおばあちゃん。
そうでしたか。
異宗派婚家に嫁いだ身ゆえ、お仏壇にはあげられませんが。
棚を作ります故、しばしごゆるりご滞在なさいませ。
独り過ごしのお盆を憂い、お尋ねくださいましたか?
ありがとうございます。
つつがなく、暮らせておりますが、心強いご滞在です。
さあ、ひとり盆の始まりだ。
と思った、そのせいか。
唐突に、納戸の柳行李が私を呼んだ気がして、
どれどれ、なんぞご用でしょうかと、ひっぱりだして開いてみる。
雑多にはがきや書類や写真が詰まっている行李。
実家が売却される折、なんぞ思い出にと
開かずの間となっていた仏間の棚からいただいてきたもの。
ざっと中を見て、いくつか祖父母の写真をとりだし、
整理したもののあとはそのままお蔵入りしていた。
あらためて、見分。
ふとt枚の写真に手が止まる。
初めまして、のお顔が。

裏書を見ると。
まぁ。抱かれた赤子は、私の祖母。
ということは、横に立つご婦人は、わたしのひいおばあちゃん。
で、赤子を抱く老婦人は、ひいひいおばあちゃん。
そうでしたか。
異宗派婚家に嫁いだ身ゆえ、お仏壇にはあげられませんが。
棚を作ります故、しばしごゆるりご滞在なさいませ。
独り過ごしのお盆を憂い、お尋ねくださいましたか?
ありがとうございます。
つつがなく、暮らせておりますが、心強いご滞在です。
2013年03月10日
宅配今昔
わたしは通販をよく使う。
昨日は息子用の花粉症サプリを注文したところ。
アマゾンで中古本もよく購入する。
お中元とか、引き出物も通販で整えたりする。
そうだ、子供が小さいころは宅配ピザもたまに使った。
玄関に物が届く。いまはほとんど「宅配」専門の人がどの品物でも同じように宅配してくれる。
はんこください、はい、ありがとうございました、と数秒のやり取りで終わる。
昔、実家で義祖母(母は養女)が現役だったころは、いまのような「通販」はなかったが、
いろいろなものが、玄関や勝手口に、それぞれのお店の人が来て届けてくれていた。
週刊誌は本屋さんが、袋にも入れずそのままを今週号でーすと
お薬は行商人さんが、紙風船を土産に、かまちに座り、お茶を飲んで世間話をしながら、
お醤油やお酒は酒屋さんが、大きな木箱をよいしょとさげて、勝手口に置いていってくれ、
練炭も、墨屋さん?が、お勝手口へ。
和菓子は玄関の方へ。
お菓子屋さんが種類の詰まった木箱をうやうやしく開けて見せてくれて、祖母がその中から好みのものを指して買っていた。
着物屋さんは居間まであがり、反物をもってきて、できあがるとまた持ってきて。
そのつど、祖母はおしゃべりを楽しむ時間を過ごしていた。
人が来る、だからいつもきれいにしていた。
そういえば、祖母が外出した、という記憶がない。
いつも家にいた。日々の食材の買い出しは母が勤め帰りにしていたのだろう。
祖母はほんとうの「奥様」だったのかもしれない。家の「奥」だけに居た人。
外を出あるかないからか、抜けるように肌が白かった。
食パンにジャムをのせるように白砂糖を少しの水で練ってたっぷりと塗り、ゆっくりと食べていた姿が思い浮かぶ。
宅配好きなとこは、似てるけど。
わたしは奥様には程遠いわと、祖母の暮らしを思い出している。
昨日は息子用の花粉症サプリを注文したところ。
アマゾンで中古本もよく購入する。
お中元とか、引き出物も通販で整えたりする。
そうだ、子供が小さいころは宅配ピザもたまに使った。
玄関に物が届く。いまはほとんど「宅配」専門の人がどの品物でも同じように宅配してくれる。
はんこください、はい、ありがとうございました、と数秒のやり取りで終わる。
昔、実家で義祖母(母は養女)が現役だったころは、いまのような「通販」はなかったが、
いろいろなものが、玄関や勝手口に、それぞれのお店の人が来て届けてくれていた。
週刊誌は本屋さんが、袋にも入れずそのままを今週号でーすと
お薬は行商人さんが、紙風船を土産に、かまちに座り、お茶を飲んで世間話をしながら、
お醤油やお酒は酒屋さんが、大きな木箱をよいしょとさげて、勝手口に置いていってくれ、
練炭も、墨屋さん?が、お勝手口へ。
和菓子は玄関の方へ。
お菓子屋さんが種類の詰まった木箱をうやうやしく開けて見せてくれて、祖母がその中から好みのものを指して買っていた。
着物屋さんは居間まであがり、反物をもってきて、できあがるとまた持ってきて。
そのつど、祖母はおしゃべりを楽しむ時間を過ごしていた。
人が来る、だからいつもきれいにしていた。
そういえば、祖母が外出した、という記憶がない。
いつも家にいた。日々の食材の買い出しは母が勤め帰りにしていたのだろう。
祖母はほんとうの「奥様」だったのかもしれない。家の「奥」だけに居た人。
外を出あるかないからか、抜けるように肌が白かった。
食パンにジャムをのせるように白砂糖を少しの水で練ってたっぷりと塗り、ゆっくりと食べていた姿が思い浮かぶ。
宅配好きなとこは、似てるけど。
わたしは奥様には程遠いわと、祖母の暮らしを思い出している。
2013年03月03日
大東亜宣戦大詔謹解 福手久隆 昭和17年



日支事変より4年半。
昭和16年12月8日発せられた、開戦の詔の意味解説書。
翌17年2月に発行されている。
発令後、天皇のお言葉が難しすぎて大多数の国民が、どう読むのでしょう、どういう意味なのでしょうと問い合わせが相次ぎ
解読本の発行となった。
解説者はあとがきに、こう書いている。
『さるにても諸君よ、開戦と同時に我が陸軍、海軍、空軍のまざましき活躍は何と評すべきか、古今東西実に較ぶべきものなく。
世界中、皆、舌を巻きて驚嘆し人間業に非ずというてをるではないか。が、諸君よ、是は皆、平素の命がけの訓練と錬熟との賚(たまもの)ではないか。命を棄てて国に殉じたる故ではないか。
そこで百僚有司に立つ人も、一般の庶業に従事する人も、皆、命を棄てて国に殉ずるという心で一致協力、夫々の道に躍進すれば、戦争が長引いて五年となろうが、十年、百年となろうが決して恐る事はない、必ず最後の勝利が日本に在るに決まって居るのだ。』
2013年03月01日
頑固父の愛し方

夫とその弟の幼少期、これしか残っていない貴重な1枚。
亡き夫の父、おじいちゃんが撮ったもの。
おじいちゃんは、朴とつな人で、馬力があるが気短で、人と群れることが嫌いな一匹狼気質だった。
個人でトラックの運転をして家族を養っていた。
有限で石材を扱う建材店を営んだこともある。
子供らへの接し方も、いまどきパパとは大きく異なり、昔の親父そのものだったようだ。
子連れで出かけかねればならなかった日。
自転車の後ろに座布団も縛らずひょいと幼い夫を載せ、走り出したはいいけれど、幼子の夫はうまく捕まることができず転がり落ち。
泣いていたがる息子のえり首をウサギを持つようにつかみあげてまた、どすんと後ろに座らせ、
「しっかりつかまってろ!この小僧!」とげんこつをくらわした。
さらに泣くとまた殴られそうで嗚咽をこらえて必死に荷台の枠につかまった、と夫は述懐したことがあった。
それを見ていた近所の衆が「まぁず、もうらしいことをするじゃねぃかい。」と声を上げたのを覚えていて
「そうだよ、俺はもうらしい(かわいそう)んだ」とひそかに理不尽に納得がいったとの話。
そんなおじいちゃんだが、愛し方が下手なだけで、子煩悩だった。
昼夜働く、その原動力は、女房子供を腹いっぱい食わせたい、その思い。
貧乏でも飢えることはなかった、腹を空かせて切ない日はなかったと夫は父親の愛を受け止めていた。
この写真を見ると、おじぃちゃんの愛が見える。
たぶん、トラックに子らを乗せて走ったんだろう。車で寝ていた子たちをたたき起こして、
ほれ、そこに立て!と立たせて、撮ったんだろう。
子供らは、なんのことやらねぼけたまま、いうとおりにしたので、ポーズもカメラ目線もない。(笑)
甘い言葉かけなど無縁ながら、当時貴重なフィルムを、子供たちのために使った。
カメラを通した、おじいちゃんの父親目線が、愛おしい。
2013年02月09日
父の昔話 青春篇
母の古い写真をアップして父の昔話を思い出した。
あと半年戦争が長引いていたら学徒出陣に引っかかって戦地だったはずの父。
だから軍服姿の写真がないことが嬉しい。
大学は出たものの、戦後の混乱期で就職した貿易会社は半年でつぶれ、海外赴任の話もパー。
横浜の歯ブラシ工場でアルバイトをした。進駐軍から回収されてきた古歯ブラシを洗浄漂泊して毛先を整え箱詰めをする。
今じゃ考えられない衛生観念(笑)
治安が悪く、懐には皆、護身用のナイフを持ち歩いていたそうだ。
その道の男たちはチャカ(ピストル)を当たり前に持ち歩いていたそうで。
危険と混沌と、そしてエキサイティングがないまぜな港町で
数年そうやって日銭稼ぎと遊びと、ふらふらした後、地元に帰り地方官吏になった。
後年の、公務員気質ばりばりだった父からは想像できない昔話に、
ほえ~、ふ~んと聴き入ったのは、亡くなる数か月前の病床で。
あの頃は日が暮れるまでよく話した。
話せてよかった。
あと半年戦争が長引いていたら学徒出陣に引っかかって戦地だったはずの父。
だから軍服姿の写真がないことが嬉しい。
大学は出たものの、戦後の混乱期で就職した貿易会社は半年でつぶれ、海外赴任の話もパー。
横浜の歯ブラシ工場でアルバイトをした。進駐軍から回収されてきた古歯ブラシを洗浄漂泊して毛先を整え箱詰めをする。
今じゃ考えられない衛生観念(笑)
治安が悪く、懐には皆、護身用のナイフを持ち歩いていたそうだ。
その道の男たちはチャカ(ピストル)を当たり前に持ち歩いていたそうで。
危険と混沌と、そしてエキサイティングがないまぜな港町で
数年そうやって日銭稼ぎと遊びと、ふらふらした後、地元に帰り地方官吏になった。
後年の、公務員気質ばりばりだった父からは想像できない昔話に、
ほえ~、ふ~んと聴き入ったのは、亡くなる数か月前の病床で。
あの頃は日が暮れるまでよく話した。
話せてよかった。