2012年04月30日
おもろうてやがて悲しき
鵜飼かな、と続く芭蕉の句。
おもろうてやがてかなしき、道化かな、という川柳もある。
もちろん元句は芭蕉だろう。
やがて悲しき、は一抹のさみしさ、とあるが
この悲しさを、一抹ととらえ、通り過ぎることができるものは、
おもろうて、を楽しめるのだろう。
だが、悲しさに身を囚われてしまうものは、その予感が先に立ち
はなから、おもしろい、を遠ざける。
または、歓楽の瞬間にさえ、身構えて時を過ごす。
幸せの先に、まだ幸せがあることを確信できる人生は 力強い。
けれど、幸せの先を 儚しと思う人生が「悪」かといえば、そうでもない。
かえってそのほうが、生きることにはしぶとくあれたりするのだ。
喜びの瞬間を、恒常にもとうとすれば、そうでない時間に不満が生まれる。
その感動や享受がなくなったとき、
「もとにもどっただけのこと」と思えるか
その瞬間を取り戻そうとあがいてしまうか、で、
ストレスのかかりかたがちがってくる。
恋に例えれば、わかりやすいか。。。
あがかない自分を肯定する。
それが、すべ。
生き方は、ひとそれぞれでいい。
おもろうてやがてかなしき、道化かな、という川柳もある。
もちろん元句は芭蕉だろう。
やがて悲しき、は一抹のさみしさ、とあるが
この悲しさを、一抹ととらえ、通り過ぎることができるものは、
おもろうて、を楽しめるのだろう。
だが、悲しさに身を囚われてしまうものは、その予感が先に立ち
はなから、おもしろい、を遠ざける。
または、歓楽の瞬間にさえ、身構えて時を過ごす。
幸せの先に、まだ幸せがあることを確信できる人生は 力強い。
けれど、幸せの先を 儚しと思う人生が「悪」かといえば、そうでもない。
かえってそのほうが、生きることにはしぶとくあれたりするのだ。
喜びの瞬間を、恒常にもとうとすれば、そうでない時間に不満が生まれる。
その感動や享受がなくなったとき、
「もとにもどっただけのこと」と思えるか
その瞬間を取り戻そうとあがいてしまうか、で、
ストレスのかかりかたがちがってくる。
恋に例えれば、わかりやすいか。。。
あがかない自分を肯定する。
それが、すべ。
生き方は、ひとそれぞれでいい。
Posted by のんたん
at 01:30
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