2012年07月22日

ありがとうは魔法の言葉

成育史。

実家は3世代同居だった。

兄は母に育てられ、わたしは祖母に育てられた。

私の断乳もそこそこに母がフルタイム勤めを得たので。

ものごころつくころには、個室をあてがわれていたが、小学校に入っても

わたしは甘えんぼで、祖母の部屋に行き、一緒の布団にもぐりこんでは寝ていた。

4年生で祖母が亡くなると、自分のうちではあったが

なんとなく、親戚の家に預けられたような、こころもとなさと遠慮が子供心に芽生えた。

が、内心とはうらはらに、親には強気を見せるかわいげのない子供だった。

強気の言動は、自己肯定感の低さの裏返しであったのだと思う。

それから実に10年は、感情操作が迷走し、コミュニケーション能力が自分にはないんではないかと殻を作って生きた。

夫と結婚しなかったら、多分一生独り身だったのではないかと今でも思う。

亡き夫は、実に安定した感情の持ち主で、新婚時代、波のあるわたしに根気よく接してくれていたと思う。

そして子供を授かって、その存在があまりにも、無防備で、絶対信頼を寄せてくることに驚愕に近い感動を体験した。

「いいの?このわたしに、そんなに安心してて、いいの?」と幾度も思った。裏切らない初めての存在。

毎日が恐れ多く「ありがとう」の日々だった。

また、夫は何にでも「ありがとう」を惜しまない人だった。

アイロンをかけたワイシャツやハンカチを手にしても「ありがとう」

でがけにお弁当を受け取り「ありがとう」

駅に迎えに行っても「ありがとう」

2時間後に起こして、と仮眠に入って、なかなか起きない体をゆするときも

「ありがと、ありがと、起きなきゃ、うんうん。」となかなか目が明かないままでも、ありがとうを連発したりした。

こどもたちにも「ありがとう」をいっぱいいって育てた。

今、想う。

わたしやこどもの自己肯定感は、夫の「ありがとう」に育てられたのだと。

私の自己肯定感は、結婚して母親になってからようやく芽生えた感覚なのだ。

その感覚を得てようやく、わたしは幸福感や、穏やかな人柄を持てるようになったのだと思う。

夫は、連れ合いであったけれど、保護者でもあった。

育てて、もらった。

彼の置き土産は、この人生に、やさしい色をつけてくれた「ありがとう」という魔法の言葉なのだと思っている。








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Posted by のんたん  at 06:28 │思う

この記事へのコメント
こんばんは。

人の出逢いは必然であって、偶然では無いと思います。

のんたんさんには、ご主人が、お子様が必要だったのですよ。
Posted by オザの塩尻ブログオザの塩尻ブログ at 2012年07月24日 00:14
オザ様こんばんは。

ありがとうございます。

縁があった、ということでしょうか。
授かった、という方がしっくり、かなぁ。

いい人生をもらいました。
ご先祖様のおかげかなぁ。

初めての出産の前日、亡くなった祖父が玄関に汗びっしょりかいて来てくれた夢を見ました。
その時産んだ子が、祖父と同じ教師に。
母は養女だったので血縁なき祖父なんですが、孫として私はかわいがってもらいました。

授かりだなぁと思いました。
Posted by のんたんのんたん at 2012年07月24日 00:57
うんうん。私は自己肯定が少しずつできるようになったの、つい数年前かなぁ?
性格が変わったと言われるくらい、自分との付き合いも楽になった〜(笑)と思います。
自分を愛せて、はじめて他の人をそのまま愛せるのかもしれないなぁという事がわかり始めました。
かなり遅すぎですが・・・ありがたいです。
Posted by Hiromi at 2012年07月27日 06:36
Hiromiさん

わたしも。w
自分との付き合い方を見つけるのにずいぶん時間がかかりました。
遅くても、気づけてよかったなぁって思います。Hiromiさん、すてきです。はじけて明るく以前よりさらにお若くて。
Posted by のんたんのんたん at 2012年08月01日 17:10