2013年10月15日
範囲内
小さい波が来る。
どこかで、スイッチが入る瞬間があるのだが、そのきっかけは様々で予見が難しい。
たまたま聞こえた昔の音楽だったり、テレビのセリフだったり、風景だったり、匂いだったり。
予兆は、過食。お腹が張るまで食べても手が止まらず、手当たり次第に口に食べ物を詰め込みはじめる。
ああ、また、そろそろくるんだなぁと覚悟する。
それから、早くて半日、遅くて数日すると、大波が来る。
じっとしていられなく、さりとて何も手につかず、
家の中を小走りにうろつき、封印タンスを開いて遺服を漁り、ぬくもりを探し、残り香がすでにないことにいら立ち。
空に向かって声をかけ、名を呼び、壁を叩き、七転八倒
嗚咽で過呼吸になり、げーげーする。
感情の嵐が過ぎ去ると、しばし放心し、
数時間後には、何もなかったのごとく、また家事や仕事に戻る。
間隔は間遠くはなってきている。
泣かない日はないが、大波は日常ではなくなっている。
波の範囲は想定内。
そう思う事で安心する。
薬なんか要らない。
私の心は、通常「範囲内」で治まっている。
大丈夫。
あしたも、生きる。元気。
どこかで、スイッチが入る瞬間があるのだが、そのきっかけは様々で予見が難しい。
たまたま聞こえた昔の音楽だったり、テレビのセリフだったり、風景だったり、匂いだったり。
予兆は、過食。お腹が張るまで食べても手が止まらず、手当たり次第に口に食べ物を詰め込みはじめる。
ああ、また、そろそろくるんだなぁと覚悟する。
それから、早くて半日、遅くて数日すると、大波が来る。
じっとしていられなく、さりとて何も手につかず、
家の中を小走りにうろつき、封印タンスを開いて遺服を漁り、ぬくもりを探し、残り香がすでにないことにいら立ち。
空に向かって声をかけ、名を呼び、壁を叩き、七転八倒
嗚咽で過呼吸になり、げーげーする。
感情の嵐が過ぎ去ると、しばし放心し、
数時間後には、何もなかったのごとく、また家事や仕事に戻る。
間隔は間遠くはなってきている。
泣かない日はないが、大波は日常ではなくなっている。
波の範囲は想定内。
そう思う事で安心する。
薬なんか要らない。
私の心は、通常「範囲内」で治まっている。
大丈夫。
あしたも、生きる。元気。
Posted by のんたん
at 00:22
│思う
いつも素敵なのんたんさん。
誰もわからない、きっと誰もわかる事は出来ないこと。
コメント書く事では無かった気がしました。ごめんなさい。
ごめんなさい、コメントしずらい日記を書いてしまっていて。
ときおり、「死別」検索で飛んでくる誰かがいます。
わたしも、いたたまれないときに、検索します。誰かの想いに、自分を投影することでやり場のない感情を昇華したいという「すがり」行為なのかもしれません。
この衝動について真正面から対話できるほどまだ強くはなれない、だから言い放なしに及ぶ。だけど、誰かと時間差空間差で共有しているかもしれないという感覚。
ネットという場所だからできることかもしれません。
いえいえ、こちらこそすみません。
自分も、内容はともかく、ネットの中の方にでも聞いてもらえたらと思って書く事もあります。
リアルには伝えられない事も、伝えられる事があります。
まあ、私の場合はたわいも無い事が多いですけど。
昔はできなかったことが今はできる様になったことの一つですね。
いつもそう思います。
充分すぎるくらい頑張っていらっしゃる方に頑張ってとも言えず、わかります!ともそう簡単には言えず…
何とお声をかけてよいものか、言葉が見つからない自分がじれったく。
それぞれ試練は違えども、その道の険しさは違えども、少なからず誰もが長い坂道を登っているのだとおもいます。
ひとりじゃないです。
何の力にもなれず、もどかしいですが、深い哀しみもすべてを含めのんたんさんの今があるのだと感じています。
のんたんさんの深くあたたかく研ぎ澄まされた言葉にいつも勇気を頂いています。
こうしてコメントを差し上げるようになったずっと以前から。
どうぞ、お身体お大切に。
ご自分を労わって差し上げて下さいね。
こんな事しか言えずごめんなさい。
ただただ、のんたんさんのお幸せをお祈りいたします。
ネットのつながりはリアルを補うツールでもあり、また、「あいまい」な場所に言葉を置きたい人たちの場所でもありますね。
ありがとうございます。
書いていることが自分のすべてではないけれど、書くことで自分を整理していく作業をしているような気がします。読んでくださてありがとうございます。
感情のふり幅はまだありますが、おおむね幸せに暮らせているので、有難いと思っています。
お心を添わせていただき、ほんとうにありがとうございました。