2014年04月21日

自動制御

感情考察。

夫が亡くなって3年目になる。

以前と同じ自分のつもりでいて、無意識にいくつかできなくなっている行動があることに気がつく。

仕事でかかわる祭りイベントに躊躇はないが、プライベートで「お祭り」に出かける気になれないこと。

家族連れが多い週末に買い物に行きたくないこと。

逝去当日も仕事だったのだが、その日預かった資料DVDに、いまだ目が通せないこと。

あの当時使っていた携帯は、現役引退後もまだ手元にあり、最後の録音メッセージと写真が入ってる。

だが引き出しから出すこともできず、見れず、聴けずでいること。

夫がとくに喜んだいくつかのメニューが作れないこと。

泣かずに1日を終える日が、未だに持てないこと。

あらゆることにそのスイッチが連動するのだ。

5年後の自分を想像できないこと。

前は、あらゆる老後を想像して楽しんでいたのにな。

未亡人、とはよくいったものだ。

今を生きられるが、今につながる未来を想像できないのがこの立場なのだろう。

なんてことを書いていると、暗い毎日を送っているのかといえばそうでもない。

やることがけっこうわさわさあって、ありがたい友人もいて、笑うし、食べるし、飲みもする。

ただ。

いい意味でも、悪い意味でも、「執着」が希薄になってしまったような気がしている。


なにごとにも、腹の底からわき上がる激情感、というものに縁が無くなった。






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Posted by のんたん  at 09:52 │思う